田舎から上京。憧れてた東京のキラキラOLの理想と現実~化粧品会社で働いた4年半~

本ページはプロモーションが含まれています

こんにちは!愛知県立大学卒のあおいです。

新卒で、女の子ならおそらく誰もが知ってるであろうプチプラの化粧品会社に入り、商品企画として4年半働いたのちに、オーストラリアで1年ちょっとワーホリ生活を送り、現在はフリーランスのWebデザイナーとして働いています。

今回はそんなわたしが会社員時代に経験した、『憧れてた東京のキラキラOLの理想現実についてお伝えします。

地方から東京の会社で働くことを考えている方は「東京で働くってこんな感じなんだ」とイメージが出来ると思うので、是非見ていただければと思います。

化粧品会社で働くまで

特にやりたいことがなかった就活時期

英語が好きという単純な理由で大学は英米学科に入学し、英文学を学んでいました。1年間休学し、オーストラリアに語学留学に行ったあとに待ち構えていた就活。当時はこれといったやりたいことが特になく、なんとなく「英語が使えたらいいなぁ」くらいの考えで、知っている企業にエントリーしまくっていました。

自分が「働く」というイメージがなかなか湧かないまま、メーカー・ブライダル・商社・物流など幅広い業界を受けていった結果、家具メーカー会社、物流会社、化粧品会社の3社に内定を頂きました。

今となって考えると、アルバイトくらいしかしていなかった学生が、せーので足並みを揃えて就活を開始して、説明会で会社の説明を聞いただけではなかなか「働く」イメージが出来ないのは当たり前だったなぁと思います。もし当時に戻れるのであれば、早い内から色んな会社のインターンを経験したかった!

それでも、サークル活動を4年間続けたことや、色んなアルバイト経験をしたこと(個人経営の居酒屋、赤から、百貨店での販売・データ打ち込み、Disney On Iceの売り子、野球場の売り子、部品の点検などなど)、留学や海外ボランティアの経験は就活の際には話題に出来たので役に立ったなと思います。

あとは、一時期キャビンアテンダントに憧れて講座を受けていたこともあったので、そのときの姿勢や表情の作り方、受け答えの仕方も面接の際には役に立ちました。(就活も最後はやっぱり人と人のやり取りで決まるので、とにかく笑顔でハキハキと!がポイントだと思います。)

化粧品会社で働こうと思ったワケ

内定を頂いた3社の中から化粧品会社を選ぶ最終的な決め手となったのは、
・人事の人柄
・家賃補助制度
この2点です。

内定が決まった後、他の2社は電話で「何か質問はありますか?」程度だったのですが、私が入社した化粧品会社は内定の電話後に個別に相談会が設けられ、会社で人事に直接色々と聞くことが出来ました。

若い女性の人事の方だったので質問もしやすく、会社の雰囲気・休みのとりやすさ・給料・ボーナス・更には人間関係まで、なかなか聞けなかった気になっていたこと聞くことが出来て、「この会社で働く自分」をイメージすることが出来ました。

また、愛知に住んでいた私が東京・大阪で勤務する場合、家賃補助は9万円!

愛知勤務の場合は家賃補助は出ませんが、他の地方勤務の場合でも5万円の家賃補助が出ました(5年間のみ)。他の会社に内定をもらっていた友人と比べてもかなり高い方で、これはいい生活が出来るかも!と思い入社を決めました。

実際会社の雰囲気はとても良く、本当にいい人たちに囲まれて、(大変で辛い時期もありましたが)楽しく働くことが出来ました。そして家賃の引き落としに悩まされることもなく、好きな場所に住むことが出来たのは家賃補助のおかげです。この制度を利用してわたしは東京にあるソーシャルアパートメント(大きいシェアハウスのようなもの)にも住むことが出来ました。(それについてはまた別の記事でご紹介しようと思います!)

私は人と福利厚生(特に家賃補助)は会社を決める際の大きなポイントになると思います。

長かった研修期間

入社後、晴れて化粧品会社の社員になり、どんな仕事をするのかな〜と胸を踊らせていた私に待っていたのは1ヶ月半に及ぶ研修期間。

最初の1週間は他の会社の新入社員と共に、名刺の渡し方やメールの書き方、電話応対の仕方までみっちりと社会人の基礎を叩き込まれました。創業100年の老舗会社だったので、そのへんはしっかりしていたと思います。

その後2週間ほどの店舗研修。化粧品メーカー兼バラエティショップやドラッグストアへの化粧品の卸業もやっている会社だったので、その店舗での接客・掃除・展示のアイディア出しなどを経験しました。自社で取り扱う商品を販売してくれるスタッフ、購入してくれるお客さんの様子を間近で見ることが出来、いい経験になりました。

最後に1ヶ月ほどの倉庫研修。これが長かった。。

各支店に取り扱い商品を保管・出荷する倉庫があり、各倉庫に新入社員2〜4人ほどが振り分けられ倉庫作業を経験しました。パートさんと一緒にリスト通りに商品をかごに入れ出荷準備を行ったり、返品商品の点検を行ったり、シールの貼り替えを行ったりなど、とにかく単純作業が多く時間が経つのがかなり遅く感じました。「こんな仕事をするために会社に入ったんじゃない…。」と思うときもありましたが、その仕事を行ってくれるパートさんがいなければ商品は届かないし、色んな人の支えがあって商品がお客さんのもとに届いているんだなぁと実感することが出来ました。

当時は早くバリバリ仕事がしたい〜と思っていましたが、配属されたらなかなか出来ない経験が出来た・同期と長く時間を共に過ごすことで親密になれた研修期間は貴重だったなと思います。

憧れの地東京で華のOL生活開始?

猛烈アピールの結果、東京へ!

名古屋の支店もあったため、名古屋配属もあり得ましたが、絶対に東京に行きたい!と思っていた私はことあるごとに人事や東京の支店の上長たちに一緒に働きたい、東京に行きたいアピールをしていました。そのかいあってか東京の本社に配属され、晴れて憧れの地東京での華のOL生活がスタート!

働く上でのモチベーション維持のため、やりたいことのアピールはした方がいいと思います。(私はただ東京に行きたい!というだけの単純なものでしたが。。。)

自社の化粧品ブランドの部署に配属され、始めの2週間ほどは営業に同行。お店の挨拶回りに行ったり、新商品の商談に行ったり、什器の掃除をしたり、新店舗の什器設置をしたり、東京中を駆け回ってすごく楽しかったのを覚えています。

人と話すことが好きだったので、営業職に就きたいと営業部長にアピールしていましたが、その願いもむなしく商品企画に配属が決まり、私はネイル商品の担当になりました。

当時私の部署には40名ほどが在籍しており、営業・販促、PR・商品企画・輸出に分かれていました。男女比は4:6ほどで女性が多く、特に商品企画はほぼ女性社員で形成されていたので、女社会の中で生きていくのか。。。とドキドキしていましたが、実際には面白くて優しい先輩ばかりでワイワイ楽しく仕事をすることが出来ました。

よくドラマで観るようないびりや嫌がらせみたいなことは別の会社に入った私の友人含め聞いたことはないので、なかなかないことだと思います。

東京で働く理想と現実

ランチは会社近くのカフェ、仕事終わりに新宿で飲み、休みの日は表参道でショッピング、井の頭公園でピクニックをして、ホッピー横丁で飲み歩き。ヒルナンデスで紹介されたお店にもすぐに行くことが出来る!ビバ東京ライフ!と思っていましたが、財布は寂しくなっていく一方。

やはり地元に比べると物価が高く、給料日を待ち望む日々。給料日前はコンビニや立ち食いそばなどでランチを済ませ、飲みに行くのもチェーンの居酒屋。

旅行好きで、連休は国内旅行、長期休みには海外旅行に行っていたこともあり、社会人2年目くらいまではなかなか貯金が出来ませんでした。

また私は当時、都内に住むのは疲れそうだしなんか怖い。。。という理由で、東京にもアクセスがいい千葉県市川市に住んでいたので、毎朝鬼の満員電車に30分ほど揺られながら出社していました。通勤時間は合計1時間。

市川市は好きでしたが、やっぱり会社に近い or 電車が混まない線を選ぶのは大事だと思います。

仕事で疲れて帰ってきて、自炊をする体力もなく炊いたお米を炊飯器からそのまま食べるなんてこともありました。

実際の仕事内容

商品企画の仕事内容は下記が主でした。

  • 新商品の企画(コンセプト作りからパッケージデザインまで)
  • 新色の企画
  • 既存商品の質感、色味の確認・調整
  • 商品、資材の生産管理・納期調整

私が働いていた会社で商品が出来るまでの流れ

  1. 雑誌やネット、お店で最近のメイクのトレンドを調査。
  2. こんな商品を作りたいという企画書を作成。
     (キャッチコピーや容器、パッケージデザインまでも考える。)
  3. 月1で行われる社長との商品企画会議でプレゼン。
  4. 企画が通れば、製造会社に中身のサンプル作成を依頼、デザイン会社にデザインを依頼。
  5. 製造会社から送られてくるサンプルを確認、色や質感を調整。
  6. 質感が決まれば製造を依頼、納期を調整。
  7. デザイン会社からのデザインを確認、必要に応じて修正依頼。
  8. デザインが決まった後は、容器会社・パッケージ会社にデザインを送りサンプルの作成を依頼。
  9. サンプル容器やパッケージの確認、必要に応じて色味、形状を修正。
  10. 容器やパッケージも決まったら、製造を依頼、納期を調整。
  11. 完成形を確認、社長のOKが出れば販売開始。

1年目は新色の企画を担当し、2年目以降からは新商品の企画をしていきました。

私の場合はネイルの中身の製造会社がフランス、容器会社がイタリアにあったので、英語でのやりとりや時差でなかなかスムーズに行かず、また海外の会社は休みが多いので、とにかく時間がかかりました。。。

でもなかなか1つの商品のコンセプト作りからデザイン、生産管理までを1人で担当するのも化粧品会社では珍しいと思うので、いい経験になりました!

仕事のやりがい

1人ですべてこなさなければいけないので、大変ではありますが、自分が紙にラフを描いていた商品が実際に店頭に並んでいるときは感動しました。。。

新商品販売開始後は営業さんの日報や@cosmeなどのサイトで毎日売れ行き・評判をチェックします。出荷状況も毎日更新されるので、売れている商品・売れていない商品が顕著に分かります。営業さんが売れてるよ〜!と言ってくれたり、仕事終わりにお店を見に行って完売していたときは良かった〜と思うと同時にやりがいを感じます。(逆に売れなかったときは本当に申し訳なくなる。。。)
営業チームも販促チームも一丸となって新商品をどう売り出すか考えてくれるので自分が作った商品に責任も感じるし、いいものを作ろう!という気になります。

実際、給料は?

正直基本給は総合職の中では低かったです。その代わりボーナスは割ともらえていたので、年収としては平均くらいだったと思います。部の業績によっても評価が変わってくるので、同期でも部署ごとでボーナスの金額は結構違ったりもしました。

インセンティブはなく、1年ごとにみんな一斉に基本給が上がっていく感じでした。産休も育休も取りやすくいい環境だったと思いますが、バリバリ働いてバリバリ稼ぎたい!という人はあまりいなかったように思います。(そうゆう人は転職していきました。)

なぜ4年半働いた化粧品会社を辞めたか。

退職の日。号泣しました。

もともと学生時代から3年くらい働いたら、ワーキングホリデーに行きたいと思っていたためです。しかし、3年働いたときに、新しいプロジェクトが始まり、せっかくならこれをやりきってから辞めよう!と考えたので結果4年半働いて辞めることになりました。

正直始めのうちは「どうせ辞めるから」という理由であまり会社に執着していませんでしたが、本当にいい人達に恵まれて、辞める時には大号泣してしまいました。辞めた今でも同期や先輩と飲みに行ったりすることが出来、本当にいい会社だったなぁと思います。

もう1つの理由としては、同じことの繰り返しに退屈だと感じてしまったためです。新商品は出していきますが、基本的に毎年やることが同じで徐々に退屈に感じていってしまいました。しかし決して単純作業ではなく、責任感もあり面白い仕事なので、安定して同じ企業で働いていきたいと思う人にはかなりいい会社だと思いますが、老舗会社ということもあり、新しいことを始めよう!バリバリやっていこう!という雰囲気ではありませんでした。

辞める前に同期・先輩と旅行に行き、
そこでUNOで文字を作ってプレゼントまで用意してくれました。。感謝。

最後に

東京で働いた4年半はかなりいい経験だったなぁと思います。私個人の考えですが、若いうちに東京で働くという経験はかなり貴重です。色んな土地からみんな色んな考えをもって東京に来ています。そんな人達と出会って、色んな価値観に触れることで、私自身自分の将来や仕事についてたくさん考えました。

なんなら、大学時代から東京に来たかった!

仕事のことでいうと働き方や環境は人それぞれだと思いますが、私はやはり仕事をしていく上で”人”は大事だと思います。どれだけ尊敬出来る人が周りにいるか。どれだけ働きやすい環境にいるか。私の会社の場合は本当にいい人たちばかりで、でもそれゆえに長く働いていくとそこに居心地のよさを覚える人と、もっと違う環境で違う挑戦をしてみたい!と思う人に分かれるのだと思います。

このご時世1つの会社で一生働き続けるというのは珍しくなっていくと思います。そんなに気負いすぎず、合わないなと思ったら違うことも案外出来ちゃいます!

私も結局今は全くの未経験からWebデザイナーとして働いているので、何が起こるかわかりません。

あおい

あおい

愛知県立大学 外国語学部 英米学科 卒

この記事が気に入ったら
いいね!して応援しよう!

15+

この記事をシェアする